アメリカには27歳の時に渡りました。
日本で貯めたお金を全額持って留学しました。
アメリカでは色んなお仕事しました。
ウェイトレスから始まって、
メディカルアシスタント、
ナースアシスタント、
ビーズの卸売りのお手伝いなどなど、
ナースの勉強中に
ナーシングアシスタントとして、
ナーシングホームで働いていた頃に
子供が出来ました。
出産後は暫くは専業主婦でした。
まっくらくら暗闇の時代でした。。。。
出口が無いような毎日、
人生の中で一番辛かったです。
プチ欝になりました。
これでは、本当に絶対にいけないと思い、
運動しようと近くのYMCAに入りました。
子供が2時間無料で預けられるのも魅力だったのです。
そこでズンバに出会いました。
その前に私のダンスの歴史です。
ーーー日本では10歳の時にバレェを始めて、
それから12歳でジャズの方に転向しました。
15歳でダンス部の強い高校に入りました。
ダンスの講師は日体大モダンダンス部主属だった
柳先生に3年間、卒業するまでみっちりと
モダンとジャズを習いました。
この高校の3年間、毎日、月から土まで
3~7時間、毎日、毎日、来る日も来る日も
練習した事、先生のいった事を自分の脳が
蓄積した事が、今の自分の役に立っています。
大学から社会人まではダンスから離れました。
違う事がやりたかったのです。
アメリカに来て、サルサにはまりました。
サルサの勉強をしに、サルサの元であるソンの勉強を
キューバとガテマラに単身で行きました。
フラとも出逢いました、
ネリッサというフラのインストラクターの下で2年習った後、
2年半サンディクムの下で彼女のハラウでフラを習いました。ーー
そういう過去がありましたので、ダンスが大好きでしたので、
ズンバに出逢いあっという間にはまりました。
毎日、毎日、子供を連れて、あっちこっちのズンバクラスにゴー!!!
毎日ハッピー。暗かった時代は消えてしまいました。
とにかく、毎日が楽しくてしょうがなかったです。
その内に、私のアメリカの師匠、Yingに出逢い、
インストラクターにならないか?と薦められました。
Yingの傍で
彼女のダンスフォーマットを教えながら
少しずつ、少しずつ、教える場所、
教えられる、フォーマットを増やして行きました。
ーーーーーーーーー現在教えてるフォーマット。ーーーーーーーーー
月曜日